息子にまで及ぶ冷遇
2017.02.23.17:13
収穫した野菜を調理して食べる行事で
偏食の息子が珍しくペロッと平らげ、
「おかわりするっ!」
と調理を続けている園長の元へ走っていった。
微笑ましく少し離れたところから見ていると
「おかわりください!」と大声で言い
器を差し出した息子。
それに対し園長は息子が全く存在しないかのように
調理を続け、全く反応しなかった。
まさか息子にまでそんな態度を取るとは、
衝撃を受け、すぐにワナワナと怒りに震えた。
グラグラとめまいを感じながら息子の元へと走った。
全くめげずに「おかわりください!」を連呼する息子。
私が追いつく前に他のお子さん方がおかわりを頼むと
笑顔で話しかけながらつぎつぎとおかわりを注いでいく園長。
私は息子の背中に抱きつくように駆けつけ、
「息子にもおかわりをお願いします!!」と噛み付くように叫んだ。
しぶとく園長は2人程別のお子さんに先におかわりをしたが
その後、腹立ちまぎれに大きくため息をつきながら
息子の器をブン取って乱暴に注いだおかわりを
明後日の方向を見ながら返してきた。
「おかわりもらえてよかったね!! 偉かったよ!!」
と鼻息荒く吐き捨てながら、息子を回れ右させて席に戻った。
この頃から他のお母さん達からも距離を置かれた。
そりゃそうだろう、
自分も子どもも園長に嫌われたらヤバイと思っただろうから。
理不尽さに震えが止まらなかった。
こうした事柄が日常的に起きていたのだろう…
息子は少し前から
自宅で毎日1~2時間泣き喚き、物を投げ、家具を倒し、
私を蹴ったり殴ったりするようになっていた。
私だけならともかく、息子にもか。
子どもを不幸にしたくて幼稚園教諭を目指したのか。
こんな教育現場が存在するなんて、全く想像もしていなかった。
怒りを通り越して絶望に近い気持ちでその話を夫にすると
「お前が変なこと言うからそういう目に遭うんだ。」
そう言われておしまいだった。
変なこと、とは、障がいがある、ということだそうだ。
私が何年も努力して我慢して維持してきた家庭は
結局こんなに冷たいものにしかなれなかったんだな…。
私を取り囲む全てが理不尽で、
身を切る程冷たいものに感じられた。

ある日、急に数人の先生が笑顔で話しかけてきた。
どういう風の吹き回し?と面食らっていたら
なんてことはない、
その日は園長とその親族のスタッフが出張で不在だった。
他の父兄もたまたまその場にいなかった。
その先生の中の一人がさらに側に来て小さな声でそっと言った。
「お母さん、…あんまり無理しないでくださいね。」
…あなたこそ、
『自分も理不尽な経営者一族の下で
辛いけれど我慢して働いているんですよ』
なんて顔しながら、
いつまで子どもを苦しめるつもり?
無理をしないで、退園しろということか。
もしかしたらいたわってくれたのかもしれないが、
私はもはやそういう風には考えられなくなっていた。
でもその文句をぶつけるには
私のエネルギーが底をついていて、
「はぁ…。」と半笑いで答えるのが結局精一杯だった。
とりあえずあと数ヶ月で卒園だ。
息子は毎日パニックを起こす。
いいわけがない、この状況。
でも毎日通園はしていて、頑張って続けたい様子でもあった。
新しい環境に移すのも息子には負担だし、
この時期に受け入れてくれる園があるとも思えない。
あったとしても同じ目に合わない保証もない。
入学までどこにも通わずに過ごすことも考えたが、
学校生活に入るまでに
集団生活から遠ざって不慣れにしてしまうのも
それはそれで良くないことに思われた。
毎日毎日悩んでいたが、結局何も行動は起こせず、
転園よりも、なんとか悪夢をやり過ごそうと思っていた時
くすぶっていた家庭内の問題にも火がついた。

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