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息子の“食”をめぐる変遷

2016.11.03.17:43





◇最初は順調!でも今思うと予兆はあった

息子は完全母乳で1歳過ぎまで育てた。
母乳を止めるとそれまで殆ど手を付けなかった離乳食を貪るように食べ始めた。
みるみる太ってきたし、背も標準を大きく上回った。
何でも食べるイイコだわ~と安心したものだ。

母乳はその旨味成分が鰹ダシに似ているという。
そのせいなのか、鰹ダシを使った薄味の肉じゃがなどを好んだ。

味噌汁や味噌煮など味噌を使ったものは食べなかった。
ジュースも飲まなかったので、味が薄めのものが好きなんだと感じていた。

野菜も果物も剥いたり切ったりしてる間、
早くしろ~!と机を叩いて泣きわめいて欲していた。

遊び食べや、こぼしたりもしない。
さじを向ければ燕の子みたいに大きな口を開けて待つ。

今思うと、手が濡れたり、顔につくのが嫌でキレイに食べていたのだろう。
散々食べ散らかすのをちょっと楽しみにしていたので残念だったが、
汚れなくて済んでいいか、と安易に考えていた。
今にして思えば、味覚過敏と感覚過敏があったのだと思う。





◇偏食の始まり

一年もしない内に、イヤイヤ期が始まった。
その途端、今まで食べていたものの殆どを食べなくなった。
さじを向けても、頑として口を一文字に結んでいる。
野菜は完全拒否、果物は一部食べるが加熱したものは食べない。

「お腹が空いたら食べるわよ~。」
「心配しすぎよ、そんなものよ。」
誰に相談しても、あははは、と笑い飛ばされた。

小児科に相談すれば、
「あんた親でしょう。何が何でも食べさせなさいよ!」
と叱られた。

夫にも、「工夫が足らないんだろう」とだけ言われた。
彼も煮込み具合や切り方、炒め方、味付け、鮮度まで全て厳しい好みがあり、
息子用・夫用のおかずを用意し、2人が残したものを私が食べる、
という毎日だった。

野菜はみじん切りやペーストにして汁物に加えたり
ホットケーキに擦り下ろしていれたりした。
ある日ちょっと野菜を多めに入れたら、その日からホットケーキを口にしなくなった。

切り方を変えたりとにかく柔らかくクタクタに煮るなど
手を変え品を変え努力し続けたが、
2年ほど経っても変わらず食べたいものしか食べない息子に
私はノイローゼになりそうだった。

「食育」を謳うテレビ番組や先生の話は、耳が痛すぎて
私の生活の中から遠ざけて、逃げまくっていた。

しかし、幼児教室の先生と話していて、
「でもほら、こんなに大きく立派にお育ちだし、大丈夫ですよ~。」
と言ってもらった。

確かに、息子は1歳半以降身長体重だけは標準を大きく上回って維持していた。
白米はバッチリ食べる。パンは1銘柄だけだが食べられる。
肉はウインナーや肉じゃがの肉、魚は白身を焼けば食べられる。
飲み物は牛乳だけだが、沢山飲む。
野菜はみじん切りにしてクタクタに煮た物を少~し。
果物は小さく切ったリンゴ、いちご、バナナのみ。

限られた食品をたらふく食べる。
結果、なんとか最小限の栄養は取れている。

もう、それでよしとしよう。
その日から悩むのをやめた。
息子には食べたい物を作って出してやり、
私の食べるものを見せて興味を示したものから試していけば良い。
残リ物を全部食べられなくて捨てることになっても、自分を許すことにした。

幼児教室で、お友達が美味しそうに食べるものにも興味を示し、
食べられるようになるものも微量だが増えてきた。

ハンバーグやカレーといった「お子様メニュー」も受け付けない為、
外食はままならなかった。
長時間の外出が難しく、前もってランチが必要と分かれば弁当を持参した。

弁当もと言っても、白米にウインナーにりんご、というのが定番で恥ずかしかった。
しかし、まずは食べられる物だけを持たせて“完食”の喜びを味わうことを目標にした。





◇緊急時だって、食べたくないものは食べない

震災の後、息子が食べるパンが品薄になった。
被災地に送られるパンが最優先に作られるし、一般市場に回ってこない。
売り場に並ぶパンの種類も、その数も激減した。

売り場で見つけると沢山買って冷凍保存したのだが、
解凍したものは触感が変わってしまうらしく、全く食べない息子。

「これを食べないと今度いつ手に入るかわからないんだよぉ」、
と私が半泣きで説明したって、
そんな事情は息子にとっては知ったこっちゃない。
いつものを出せ~!とばかりに、泣き叫び返してくる。

遠方の親戚から送ってもらおうと思っていたが、
たぶんそれも質感が変わって食べないだろうと断念した。
一日に何度も数軒のスーパーを回って何とか無事食べさせていた。

もし被災し、この子が食べるものを備蓄してなかったら
我が子は誰よりも早く飢えるだろう。
かなりの絶望感を抱いた経験だった。



◇僅かだが食べるものは増えていく

同じ思いをしていらっしゃる親御さんがいたら、お伝えしたい。
偏食は緩和されていく傾向らしい。
数年経って、物凄く微量ずつだが、ウチの子が食べられる食品は着実に増えている。

理由としては、
触覚・感覚過敏がマイルドになってきているのであろうことに加え、
こだわりが緩和されてきていることが考えられる。

例えば、ある日クリームパンが食べられるようになった。
最初はA社のミニクリームパンしか食べられない時期が1年程続いた。
大好きなアニメキャラのクリームパンが発売されたら、
大きさも焼き具合、硬さも違うのにすぐさま食べられるようになった。
そのアニメの他の種類のパンは、手にとることすら無い。

違うメーカーの別のキャラクリームパンは、
一度は食べたものの、二度と口にしなくなった。
クリームにバニラビーンズが入った物は、発見した瞬間に完全拒否だった。

“法則”がありそうな、なさそうな、息子のチョイスだが、
何だかんだ言っても、現在は数社のクリームパンが食べられるし、
長~い目で見ると種類も着実に増えているし、今後も増える一方だと確信できる。
防災備蓄に加える缶詰なども以前より種類が増やせていて、
息子が飢えるリスクはすこしずつ軽減している。

しかし、我が家の食費はとにかくもう、物凄くかさんだ。
『食費』なんだけど、『教育費』なのだ、と思ってなんとか自分を納得させていた。


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言語療法士とマンツーマンでのST

2016.08.19.17:28





就学活動の裏で毎月1回の療育に通えることになった。
以前のようなグループワークではなく、
言語療法士さんと1対1で指導をしていただくということで、
全く新しい経験だった。

代わりばんこに積み木を積もうね、と話してから、
しばらく先生が黙って待つ。
すると息子は、
どうしたのかな、ぼくからだったかな、
そもそも積み木を交代で積むって本当に言っていたっけ、
何が悪かったんだろう、などなど
色んな“?”が顔に浮かんでいる。
だが、それを口に出して尋ねることはない。

先生が息子の手に触れて、「ねえねえ、どっちからやる?」と口を開いた。
息子はどうしよう、どうしよう、と焦った顔をしていた。
先生が「じゃんけんで決めようか。」というと
「…どうじょ!」と先に先生からやっていいよと促した。

「じゃんけんがまだうまく覚えられていないんです。」と私が補足した。

「ありがとう、じゃあ、まず先生からね。」
と積み木を積んで、また先生は黙って知らんぷり。
また、息子の“???????”が続く。
しばらくして先生がそっと息子の腕を取って、
先生の別の手をトントンとした。
「『ねえねえ、ボクの番だよ』って言っていいよ。」
「『ねえねえ、積み木ちょうだい』でもいいよ。」
息子はキョトンとしている。

そうかあ、こういう基本的といえるやり取りも息子には難しかったんだ。
自信もなくて、聞き方も分からなくて、困っていたんだなあ。

その日から次のSTまで私が色んな質問して、
息子の答えも用意して「~って言ってみて。」というのを繰り返してみた。
「何するんだっけ?」
「どこいくんだっけ?」
「何がいるんだっけ?」
と少しとぼけて聞いてみて、息子に答えを教えてもらうのもやってみた。
息子の集団生活で、尋ねると暮らしやすくなる問いを
Outputできるようになるといいなあと願いながら。

そのうち、「『わかんない』って言っていいよ。」
というのも必要だとわかった。
「何をどう言ったらいいのか」と静かに固まってパニックだったので。

園の先生に、「この頃嘘をつくようになりました。」
と言われて驚いたのもその頃だった。
「~はもうやったの?」と聞かれてオロオロし、
「やったの?」ともう一度詰問されて、「やった」と答え、
「やってないの?」と聞き直したら、「やってない」と答えたと。
それを聞いて、それはオウム返しという特性で、
聞いた言葉をそのまま返してしまう現象です、
質問の意味が分からなかったか、返事の仕方が分からなかったので、
言いよどんでしまったんだと思います、と伝えたけど、
そんなバカなこと、といった感じで理解してもらえなかった。
とにかくゆっくり優しく尋ねて頂いて、
伝わらないようなら少し簡単な表現に変えて、
もう一度聞いてやって頂ければ有り難いです、とお願いした。
はあ、と答えた先生にあまり期待できなかった。
稚すぎるお願いに聞こえたらしかった。

言語聴覚士や園の先生が相手だと
緊張もあって益々上手く話せないのだろう。
私との会話で自信をつけて、
家の外でも安心して同じ会話ができるようにしよう!
じゃんけんもゆっくりゆっくり教えて、
しばらく、地道に会話練習を積み重ねていった。



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障がいのフィルタリングとしての健診

2016.07.28.21:51

就学児健診の時に、私が必要以上に緊張していたのは、
小さい頃の定期健診で他の子にできることが息子にはできないという事実を
まざまざと思い知らされてきたからかもしれない。

私自身も息子の言葉の遅れを指摘されるのを恐れていたので
職員に素直に助けを求められなかったり、
その後切羽詰まってきて助けを求めた時には受け入れてもらえなかったり、
健診には、本当に悩まされ、翻弄された。

3ヶ月健診に行った時はまだ、
「うちの子ってよく泣くよなあ」「みんなお利口さんだなあ」、
「他のお母さん達の方が育児が楽そうだなあ。」、
と思った程度だった。

思えば、すでに息子とは目線が合わなかったし、
抱っこしてもしがみつく事がなく、手はいつもぶらぶら下に下げていた。

一歳半健診では、息子は歩くのがやっとで、質問にも答えられないし、
脱ぎ着がままならないし、診察も大騒ぎだし、
発語が少なすぎることもついに指摘された。

その時の私はとっさに大声で言い返した。
「うちの子はのんびりした性格なんです。余計な心配をしないで下さい。」
今思えば、この時から療育をしていたら、
うちの子ももっと楽に暮らしていたかもしれない。
でも、この時はとんでもない言い掛かりをつけられたようにしか思えなかった。

保健所からもその日は何も言われず、半年経ったら書簡で、
話せるようになった言葉を記入して返送して下さい、と書類が届いた。
書き込んで返送すると、その後特に連絡はなかった。

三歳児健診の時にはもう、逆に相談にのってほしいと思っていた。
職員の方も、では詳しい相談をすぐしましょう、と仰ってくださったが、
急な転勤で他県へ引っ越しせねばならなくなり、叶わなかった。

引越し先の自治体では、三歳半健診というのが行われており、その頃には
既に年少入園した息子が集団生活についていけない事が明白になっていた。
内科検診をしてくれた小児科医に言葉の遅れを相談すると、
「あんた、読み聞かせとかちゃんとしてんの?
 聞いてなくても遊んでる横でずっと読まないと。」
と叱られただけだった。

『個人的に相談したい方はお残り下さい』と言われ、
2時間近くご機嫌の悪い息子をなだめながら待った。
「確かに言葉の遅れがあるわね。
園でも大人しいから問題視されないだろうけど、
本人は相当困っているかもね。」と困り感を認めてくださった。

「でもほら、お母さん、上手くやれそうだし、
半年後お電話するから様子を聞かせてね。」
と言語訓練の初歩アドバイスだけして面談を打ち切られた。
崖っぷちで救いを求めて伸ばした手をキャッチしてくれたのに、
結局突き落とされた気持ちだった。

健診所が遠くて、数十分バスに乗っている間、
他のお子さんの30倍くらい大きな声で泣き叫ぶ息子を
白い目で見られながらなだめ続けていた。
ようやく下車した時、息子を抱っこしたまま
私が声を上げて泣いてしまった。

もうギリギリ限界だから助けを求めたのに、
まだ大丈夫、もっと自分で頑張れと言われてしまった。
息子がペシペシ私の頭を叩くので、泣きじゃくりながら顔をみると
「よしよし。よしよし。」と小さく一生懸命呟いていた。
私の頭を撫でてくれていたのだ。
「ごめんね。ごめんね。」といいながら、泣きながら帰途についた。

しかし、このあと1ヶ月程で園の先生から
療育相談に行きませんかとお話を貰った。
「指示が全く通りません。もうお手上げです。」
でも健診で断られたんです、と伝えると、
「園から頼んでみますので、お待ち下さい」と仰ってすぐ、
拍子抜けするほどあっさりと検査やグループワークの予定が決定した。

第三者に療育が必要と判断されることが、
療育を受ける資格というか、優先順位UPの条件なのかもしれない。
でも、それならうちの子のような境界域の子にとって
健診は早期療育の入り口にならないのではないか。
より多くのお子さんが早く支援を受けられるようになることを願ってやまない。




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別の人間になったわけではない

2016.06.02.17:00

診断が下ってから、感情の起伏がほとんどなくなった感じだった。
呆然として、過ごしていた。

息子は偏食が激しい。
食べたいものを確認してから調理するのだが、
テーブルに差し出すと、やっぱり別の物がいい、とよく言いだし、
作り直すことがよくあった。
お腹が空いたらなんでも食べるだろう、と
他のお子さんなら思うところだろうが、
うちの子は、いやだと言ったら、本当に食べないのだ。
とにかく、食べるものを作ろう、といつもは思っていた。

その日も、配膳をした途端、
「嫌~、○○(がいい)~!」と息子が言い出した。
その瞬間、自分とは思えないような大声で叫んでいた。

「そんなことばっかり言って!いったいどうやって生きていくつもりなの!!」

(そんなことばかり言ってるからお医者さんにあんなこといわれてしまうのよ)
と続けてしまいそうになったが、何とか呑み込んで、
歯ぎしりして「ぎぃ~」とうなりながらトイレに籠った。

それからもしばらく、“特性”を見る度に、
(そんなんじゃあ、生きていくのに困るわよ!)とイライラした。
特性さえなくなれば、診断が覆る、ってわけでもないのに。

トイレから出てくると、自己嫌悪でいっぱいだった。
「大きな声だしてごめんね。」というと、息子はいつも「いいよ♪」と答え、
何もなかったように笑顔になった。

そんなことを繰り返したある晩、息子の寝顔を見ながらふと思った。
診断が下る前と後で、息子は全く変わっていない。
なのに、別の人間になってしまったように感じていた。
診断名で別の人間にカテゴライズされるものでもないのに。

私、長生きしよう。細く長く生きて、そばで見守っていこう。
より楽しく生きられるように、やってあげられることはどんどんやろう。

胸の中の重苦しさはまだ続いているが、ようやく、少しだけ、前向きになれた。

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ひたすら、ショック…

2016.06.01.17:49

発達障がいであることは分かっていた。
自閉症、という言葉と、一生治らない、という医師の言葉。
どちらも知っていたのに、私を打ちのめした。

昔、『レインマン』って映画、見たなあ…。
まあ、あれはサヴァン症候群だけどさあ…。
感情移入して観て、確かに感動した、つもりだった、けど、
今思うと、まるっきり他人事だったなあ…。
同情してたなあ、偉そうに。

…うちの子はどうやって生きてくのかなあ。
金銭的にも、重さ的にも、あんな専門施設にお世話にはなれないなあ。
じゃあ、自立して稼いで生きていくんだよなあ。

それって可能なの?
蔑まれて、経済的にも成り立たない人生じゃないの?

息子に原因はないのに。
私がそう産んでしまったからなのに、
重荷を背負うのはなぜ私ではないの?

涙もでなかった。
ただただ、胸のあたりがひたすら重くて、
体を引き摺って、なんとか今まで通りの暮らしをしようとしていた。



テーマも勉強になりましたが、
個人的には食事や独り言について共感して読みました。↓

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プロフィール

beamed on

Author:beamed on
ようこそお越しくださいました。
同じ診断名のお子さんでも、特性は様々ですね。全くご参考にならないこともあるかと思いますが、こどもの笑顔を保ちつつ、できるだけ多くを吸収してくれたら、としてきたことを、綴っていきたいと思っています。

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